「風の通り道」

「風の通り道」

 風道(かぜみち)は貧乏でした。しかも無職でした。さらに泥棒でした。
 今日もいつものように、ねらいを定めた誰もいないであろう家に、忍び込もうとしています。
 三角屋根の落ち着いた茶色のモダンな家。洋風の模様がはいったドアから、夫が仕事に出ていき、しばらくすると婦人も出て行きました。風道はそれをしっかりと確認しています。家は婦人が帰ってくるだろう一時間後まではもぬけの殻のはず。現在時刻を腕時計をみて確かめる。10時ちょうど。風道は婦人が決まって一時間後に買い物ぶくろを持って帰ってくるのを、ここ一週間かけて調べていたのです。
 几帳面な婦人だから、今日も一時間後に帰ってくるにちがいない。一時間もあれば余裕だなと風道は思いました。

 大胆にも正面ドアから浸入します。カギはかかっていたが、ちょろいもんでした。ドアを開け、玄関にはいりました。玄関でご丁寧にもくつをぬいで、いかにも泥棒のように(泥棒だが)そろーりそろーりと忍び足で音をたてずに歩きました。風道は誰もいないことを知っていたので、そんなことをしている自分が可笑しくて心のなかで笑いました。

 泥棒が泥棒ごっごを続け、リビングのドアをみつけそろーりと開けたとき、風道は一瞬のうちに石のように固まりました。視線の先には一人の少女がテーブルの椅子にこしかけていて、こちらのほうをじっと見ていたからです。時間が止まったかのようでした。風道は固まったままどう反応すればよいか迷っていました。ここは明るくハローと声をかけてピンチをふせぐ訳にもいきません。しばらく固まっていると、彼女の様子がおかしいことに気づきました。普通なら自分みたいな変な男がいえに無断ではいってきたら、驚くなり怖がるなりリアクションがあるもんです。ところがその少女はそういうそぶりを一斉みせずにいたのです。
 よくみると、彼女の焦点が自分にあってないように見えました。
「お母さん?」
 と彼女がつぶやきました。
 風道はこの言葉を聞き、彼女の目は見えていないのだと理解しました。すばやく戸棚の横に音を立てずに隠れました。落ちつきをとり戻そうとしながら、ふざけて泥棒ごっごをしていてため、足音をたてないでいてよかったなと安心しました。

 お母さんという問いかけに何の反応もかえってこなかったので、少女は首をかしげゆっくりと立ち上がり、ドアに向かいました。
「誰かいるの?」
 と彼女は空中にむかって言いました。風道は息をひそめてじっと黙っていました。少女はまた首をかるくかしげて、不思議そうな顔をすると、ドアをしめ元のばしょに戻ってふわりと座りました。

 風道はこれからどうしようかと迷っていました。誰もいないと思っていたはずなのに、女の子が一人で家にいたのですから、もう何も考えられない状態です。どうして女の子がひとり家に?ここ一週間この家をターゲットにして観察していたけれど、彼女は一回もそとに出てくることはなかったはず。この一週間ずっと家にひきこもっていたのだろうか?
 彼女をそっとみると、明るい日差しがはいってくる中で、彼女は本に手をおき、しずかに息をしていました。
 特になにかしている訳でもないのに、わずかながら微笑んでるようにもみえました。そんな彼女を見ているとなんだか時がとまったかのような平和な感じを受け、思わずこんな非常事態にもかかわらず、心から安心してしまいそうになるのでした。
 いけない、いけないと首をふり、風道は今回はあきらめて家から今すぐにでも逃げなくてはならないと、移動しようとした時、彼女の透きとおった落ちついた声で、こんな言葉が聞こえてきたのです。
「風道は貧乏でした。しかも無職でした。さらに泥棒でした」
 風道はドキっとしました。自分のことを彼女は知っている!?まるで気づいてないふりをしていたけど、実はすべて知っていて、そしてこんなダメな自分をからかっているのか!?いやちがう、そんなはずが…。
「今日もいつものように、ねらいを定めた誰もいないであろう家に、忍び込もうとしています」
 彼女は続けて言いました。
 風道はもう恥ずかしくなってしまって、足の先にあった血がすべて、頭に急速にのぼってくる感じがしました。思わず耳をふさぎ、しゃがみこんでしまいました。

 神様、お願いです。やめて下さい。なんでこんなことを俺に聞かせるですか?もう悪いことは一切しません。でも仕方なくするかもしれないです。いやしません。たぶんしませんから!。でも俺は一体どうやって生きていったらいいんですか?今まで何回か会社を受けたけれど、誰も俺のことを雇ってくれませんでした。俺はもうあんな優しさのかけらもない糞な会社のなかに、必死の思いでなんとかはいりたいとも思わないし、入ってもロボットのようなつまらない仕事を延々としてまで生きていたくないんです!でも死にたくもないです…。親からは散々せめられたあげく、ついには追い出されてしまいました。だから俺は、裕福そうな家から少しばかり頂戴して生きることしか思いつきませんでした。誰にも気づかれないように、裕福な家からしたら気のせいかなと思うぐらいのお金しか、今まで取った事はありません。でもそれが悪いことだというのは解ってます。でももう俺はどうしたらいいかわかりません。神様、俺は生きていちゃだめですか?

 風道が耳をふさぐのを止めると、彼女の声が聞こえてきました。
「風道がまだ小学生だったころ、お父さんはいつも家にいませんでした。休日の日でもお父さんはどこかへ言ってしまいました。そして夕方おそくに帰ってくると、たまにお菓子やゲームを持ってきてくれました。風道は嬉しかったけどどこか満ち足りた気分にはなれませんでした。そしてお父さんが出かけて何も持ってかえってこなかった日は、なんだかひどく落ち込んでいて、お母さんにお酒を買うからと頼んでは、口論になっていました。そんな二人の姿をみていると風道はとても悲しい気持ちになりました。根負けしたお母さんがお父さんにお金を渡すと、お父さんはすぐにお酒を買ってきて飲みました。するとお父さんは急に怒り出しはじめて、特に理由もなしに風道を殴りました。おまえはダメな子だ!どうしておまえはそんな子になったんだ!父さんに感謝しろ!感謝の気持ちはないのか!」
 風道が彼女のほうを向くと彼女は泣きそうに見えました。テーブルには点字の本が置いてありました。どうやら彼女はそれを読んでいたようです。
 彼女はテーブルに腕を組んで、その上にあたまを横に倒しました。風道から彼女の顔は見えなかったけれど、彼女は泣いているようでした。静かな時間のなか、そんな光景をみていると、なんだか風道は救われたような気分になり、気づくと自分でも止められないほど涙があふれだしていました。

 ひとしきり泣いてすっきりすると、風道は落ちつきました。落ちついて考えると、彼女が読んでいた本になぜ自分の物語が書いてあるのか不思議になり、どうしてもその本を読んで見たい衝動にかられました。
 彼女のほうをみると、泣きつかれでもしたのか、どこか眠っているかのように静かです。どうしてもどんな本なのか確かめたくなって、風道は危険をかえりみずに、彼女のほうに近づいて行きました。彼女はすやすやと寝ていました。本は閉じられていてタイトルは「風の通り道」でした。その本は点字本なので、風道には読めません。風道はなんとかして読みたい衝動がおさまりません。部屋を見渡すと奥に本棚がありました。そこには同じ本が数冊ずつ並んでいました。
 すばやく移動し「風の通る道」を探します。風、風、風と心の中でつぶやきながら、左上から右にざーと視線を移していきますが、ありません。よくみると本棚には普通の活字の本と、点字に直した分厚い同じ本が置いてあることに気づきました。もう一度落ちついて本棚をみてみると開いてるスペースがあり、そこに「風の通る道」という小さい本が横に倒れてありました。すかさず手に取り、中に目をとおします。やはりそこには最初から最後まで自分自身のことが書いてあるようでした。風道はなんでこんな本が存在するんだ?と無気味に思い、最後のページの一番最後の行をなんとなく読上げてみました。
「風道は本当の風になった」
 そう読み終わるかいなや、頭にすごい衝撃が走り、風道はたおれてしまいました。目の前に自分の腕がみえます。腕には腕時計がしてあって、時間は11時05分を指していました…。

 暖かい日差しがはいるテーブルに彼女は寝ています。窓があけられ、彼女は心地よい風を感じて目をさましました。